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kaleidoscopeⅠ dall'atelier del granito

猫の行動から学ぶ

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ナチュラル 「ナチュラルフードの裏側」

先日、私の目の前で愛猫が突然倒れ、そのまま還らぬ猫となりました。

以来、日常生活の様々な機会において、慟哭・嗚咽、突然涙が出てくるなど、
これがペットロスという状態なのか、と実感させられております。

こうして文章にすることも、まだままならない状態です。

いつも訪問させていただいているmistyBさんのサイトで命の本質に迫る「猫の食事」について素晴らしい記事を拝見し、早速リンク&メモさせていただきました。

以後、文章を加筆する予定です。

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ペットロス症状には時間の経過とともにいくつかの段階があるとのこと。
特にペットと一対一の生活を共にしてきた飼い主は、その症状が重症に陥ることもあるらしい。

まずペット(私にとって愛猫はライフ・パートナーだったのでこの言葉はあまり好まない)の死から受ける衝撃、ショックは相当なものだ。
私の場合、愛猫は眼前でぱたりと倒れ、最期に「にゃ!」と呼気とともに鳴き声ともいえない「音」を立てて横に倒れた。
ごはんを食べ始めたばかりなのに、ごはんの入った器に背を向けた形でぱたり、と倒れこんだ彼。
ごはんを喉につまらせたのか?
背中をさすり人工呼吸をしてみようか。
ああ、でも、もう瞳孔が開いて失禁までしている。
抱きかかえると身体がぐにゃりとしてすっかり脱力している。

なんとかしたい、と思いつつ、私は頭のどこかで「もう、このこは逝ってしまっている」と理解できていたような気がする。
その後の私の言動は飼い主としての理性だけが支配するものだったように思う。

妊娠七ヶ月の身体を一人でもてあましているというのに、このときばかりは火事場のバカ力とでもいうのだろうか、
五キロはあろうかという彼を入れたケージを右手に、左手には現金1000円程度しか入っていない財布と携帯電話。
サボをつっかけてひたすら猫の名前を口にしながらタクシーが拾える通りまで歩いた。

過去に一度だけ、愛猫が去年夏風邪を生まれて初めてひいたときにお世話になった猫の病院にかけこみ、
ひととおりの説明を必死にする私の震える声の中、お医者さんは猫の心音、脈、触診、口腔内、肛門などを診察し、
ひたすらに冷静に状況を説明してくれた。
お医者さんの真摯な対応は猫を愛するものにとって、とても納得のいくものであった。
もしも愛猫の最期の診察がこのお医者さん以外の人で、とんでもない対応をされていたら、
私のペットロス症状はもっと重症だったのかもしれない。

この猫専門のお医者さんは診察料も受け取らず、なけなしの1000円もタクシー代に消えてしまった私に「いつでもいいですから。ご供養が終わったときにでも。」とタクシーを呼び泣きはらした私の目の前に1000円札を差し出してくださった。
火葬と霊園の案内パンフレットも添えてあった。

自宅に帰るとケージはそのまま玄関に置いたまま、愛猫の名前を呼んでみた。
部屋の奥から鈴を転がすようなアビシニアン特有のコロコロとした声で、「おかえりにゃー」を聞けるかもしれない、(いや、それはないだろう、とどこかで理解していたはずだけど)そんな思いで一杯だった。

仕事に出かけるとき、仕事から帰宅したとき、嬉しいことがあったとき、哀しいときがあったとき、
いつも猫に「いってきます」「ただいま」と声をかけ、彼に笑いかけ泣いたことが一気に思い起こされ、大きな声で泣き崩れてしまった。
そのとき、愛猫家の幼馴染みたちの顔がちらつき、彼女たちが病気の猫の看病を長くしてきたことに心から尊敬し、電話してしまった。
彼女に辛いおもいを思い出させてしまった、と後悔したけれど、こんな事態は経験した者にしか解ってもらえないのではないか、との思いからの行動だった。

命を看取る責任感と勇気は天性のもの、先天的な才能、そして自然な宿命と私は信じている。

とにかく、その日の夜の私は酷かった。

彼が一番好きだった椅子のクッションに彼を安置し、
このときまだぬくもりの残っていた彼のおなかに保冷材を当て、オレンジ色のストールを掛けた。
猫のお医者さんは「閉じないかもしれないけど」といっていたけれど、
その指先は猫のまぶたをゆっくりとマッサージしていたお陰だろう、
深夜には愛猫の眼はすっかり閉じていて、心底ほっとした。

あの金色に光る水晶体の奥に、アドリア海の青を思い起こさせる青みがかった美しい瞳。
老いてなおキラキラと光を放っていた瞳はこれでしぼむことなく永遠に潤いを湛えるだろうな、と思った。

その夜。
初めて、「これがペットロスというものか」という事態に陥った。

深夜2時。
とにかく一端眠らなければおなかの子に差し障りがある、とベッドに入った。
すると、眠りに陥る寸前に彼の最期の「にゃ!」が耳に蘇り、酸素欠乏になり飛び起きてしまう。
そのまま彼のいるダイニングに走り、ふわふわの猫の身体を触っては泣く。

また眠ろうとベッドに入る。
やっぱり眠りに落ちる寸前、いつもなら私の枕元にやってくる猫の気配の無さに対し恐怖を覚えて飛び起きる。
私と彼の日常の一連のお決まりの行動パターンが壊れたという、突然の悲劇という現実。
それに耐えかね、交感神経と副交感神経がうまく切り替わることを拒んでいる。
これもショック状態というものなのだろうな、と感じ入る。泣きながら実感する。

翌日、火葬のための手配を済ませ、夕方に彼を骨にした。
まるで化石のように完璧な形で骨になった彼。
お世話してくれた業者の青年が、「本当に最期まで健康な猫さんだったんですね。こんなにほぼ全部の骨が残っているなんて、めったにありませんから。」と。

そのとき、一気に愛猫の食生活について、私やパートナーがいかに心を砕いていたかを思い出し、
そのレシピがそのまま猫への愛情だったな、と理解できて胸が一杯になった。


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翌日はペットロスの次の段階に陥ったようだ。
愛猫が死んだ原因は何だったのか。
私に落ち度はなかったか。
私は彼に出来るだけのことを十分出来たのか。
彼の気持ちをどれだけ理解できていたのか。
・・・原因を探ろうと、あるいは原因を作ったほうがまだマシだ、という思いからか、
一生懸命自分の過去の言動を考え抜いた1日だった。

そのとき、ナチュラルさんのブログを拝見し、色々と参考にさせていただいた。
猫に対する愛情と思いやり、何よりも尊敬の念を持った方の文章だと思います。
何度も拝見しました。有難うございます。
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# by angela_angelo | 2007-04-27 08:43 | Trackback | Comments(2)

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